31人の男性が1人の女性を奪い合った「アナタハンの女王事件」

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1945年から1950年にかけて、無人島に31人の男性(多くが10~20代)と、1人の女性(比嘉和子)が残されるという凄まじい事件です。この事件では、31人の男性が1人の女性を奪い合って殺し合いを行うようなことが起こりました。拳銃(暴力性)と女性が冨の象徴になり、それを奪い合ったのです。最終的に1950年に島から救出された時には、32人が20人になっていました。
31人の男性が1人の女性を奪い合った「アナタハンの女王事件」

第二次世界大戦末期に、南洋興発社員で沖縄出身の比嘉菊一郎、そして妻の比嘉和子、同社員の男性上司の3人と、徴用船3隻の船員29名がサイパン島の北にあるアナタハン島で共同生活を始めます。そのうち、この女性1人を巡って男性が争うようになり、多くの行方不明者を出すことになりました。最終的に1950年に和子が米軍に投稿しました。

自給自足に近い共同生活

最初のうちは、自給自足の共同生活は、助け合いでうまくいっているようにも見えました。しかし、その共同生活は、長続きすることはありませんでした。当初は、夫婦となった比嘉菊一郎、妻の比嘉和子が他の男性集団と離れて暮らしていました。しかし、そのうちに男性たちが唯一の女性である和子を奪い合うようになっていきます。

拳銃が権力の象徴になっていく

拳銃2丁が組み立てられて以降、銃の存在が『権力の象徴』となっていきます。拳銃が手に入ったことで、男性の中で殺し合いが起こるようになっていき、真っ先に和子の夫であった菊一郎が行方不明となりました。それから、和子と関係を持った男性が次々と「行方不明」となっていきます。

当初2人の男性が拳銃を持っていましたが、この2人が争って1人が射殺されて死亡。残った拳銃2丁持った男性は、夜釣りの最中に行方不明となります。この2丁の拳銃が渡った2人の男性は、後にどちらも亡くなります。

拳銃を放棄して和子が結婚

結局、島に拳銃があると災いのもとであるとして、銃を海に捨てた上で、和子も好きな男を選ばせて結婚します。それでも争いは収まらず、その後も数名の死者が出てしまいます。結局、和子がいることが男たちが争う原因ということが話し合われ、和子を殺害しようという計画が持ち上がります。

身に危険を感じ始めていた和子は、和子を案じる男性からの忠告もあって米軍に投稿することになります。

比嘉和子が米軍に投稿

この事件は、1950年に唯一の女性であった比嘉和子が米軍に投稿したことで終焉します。

人間のおかれた環境が大事

和子はそれほど美人という訳ではありませんが、女性が1人しかいない状況において、女性を奪い合う状況が生じてしまったのです。この島に数多くの女性がいたら、「奪い合い」にならなかったでしょう。

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